释义 |
1.- (574—622)用明天皇の皇子。母は穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇後。名は厩户豊聡耳(うまやどのとよとみみ)皇子。聖德太子は諡号(しごう)。推古天皇の摂政として冠位十二階·十七条宪法を制定。小野妹子(いもこ)を隋に派遣して国交を開いた。また,広く学問に通じ,深く仏教に帰依(きえ)した。著「三経義疏」圣德太子(574—622)。用明天皇的皇子,其母为穴穗部间人皇后。名厩户丰聪耳皇子,圣德太子为其谥号。任推古天皇的摄政,制定冠位十二阶和十七条宪法。派遣小野妹子作为遣隋使,开通日中关系。学识渊博,皈依佛教。著有《三经义疏》。
2.- かつて聖德太子の肖像が印刷されていた紙幣の俗称。1万円札,それ以前は1000円札をさした。圣德太子(纸币)。对印有圣德太子肖像的纸币的俗称,一万日元票,其以前曾指一千日元票。
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