释义 |
- 北海道東端とカムチャツカ半島南端との間に,北東方向に弧状に連なる列島。活火山が多い。主な島は国後(くなしり)·択捉(えとろふ)·得撫(うるつぶ)·幌筵(ばらむしる)·占守(しゆむしゆ)など。1855年日露和親条約により択捉島以南を日本領と定めたが,75年(明治8)樺太(からふと)千島交換条約により全島が日本領となった。第二次大戦後はソ連·ロシア連邦の占領下にある。ロシア名,クリル列島。千岛列岛,千岛群岛。北海道东端和堪察加半岛南端之间东北走向呈弧状连接的列岛。活火山多,主要由国后、择捉、得抚、幌筵、占守等岛屿组成。1855年根据《日俄和亲通好条约》(《下田条约》),规定择捉岛以南归日本所有,1875年(明治8)根据《桦太与千岛群岛北部互换条约》,全岛归日本。第二次世界大战后,苏联(俄罗斯)占领该岛。〔*苏联根据《雅尔塔协定》,将千岛群岛并入自己的版图。〕
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