释义 |
- 〔「党」は党人,「錮」は禁錮の意〕中国,後漢末,宦官(かんがん)が官僚層(党人)を禁錮に処して,その批判を封じたこと。宦官による腐敗政治が進み,後漢滅亡の一因となった。党錮の禁。党锢(之祸)。中国东汉末年,宦官将许多官僚(党人)免官禁锢,不许其抨击政治,使宦官专权的腐败政治进一步恶化,成为东汉灭亡的一个重要因素。
- 中国の春秋時代頃からモンゴル高原東部に現れた狩猟牧畜民族。烏桓(うがん)·鮮卑(せんび)などはその後裔という。东胡。约从中国春秋时代,生活在蒙古高原东部的狩猎游牧民族,乌桓、鲜卑等为其后裔。
- 中国,春秋時代の晗の史官。主君を殺した逆臣を討たなかった時の上卿の趙盾について,狐は「盾その君を弑す」と記述したという。権勢を恐れず,暦史の真実を表すことを董狐の筆という。董狐。中国春秋时期的晋国史官,晋上卿赵盾之族人杀主君灵公,赵盾未予处置,董狐便在史册上书“赵盾弑其君”。后将不畏权势而敢于记录历史事实的称为“董狐之笔”。
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