释义 |
- 弥生中·後期,福岡県博多地方にあった小国。「後漢書」倭わの条に,紀元57年に倭の奴国が朝貢し光武帝から印綬を授けられたことがみえ,福岡県志賀島で発見された「漢委奴国王」の金印がこれにあたると推定されている。また「三国志」倭の条に,邪馬台国支配下の一国として奴国がみえる。なこく。わのなのくに。奴国。弥生时代中、后期位于福冈县博多地方的小国。《后汉书》“倭”的条目记载公元57年倭奴国朝贡,由光武帝授印绶。据推定,在福冈县志贺岛发现的“汉委奴国王”的金印就是这枚印章。另外,据《三国志》“倭”的条目记载,奴国是邪马台国统治下的一个国家。
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