释义 |
[一][二]江戸の敵を長崎で討つ江戸は諸国の入り込み江戸八百八町えど【江戸】アクセント えど○ 一一現在の東京都千代田区を中心とする地域。古くは武蔵むさし国豊島郡の一部であったが、平安末期、秩父ちちぶ平氏の一族江戸氏が今の皇居の地に居館を造り、室町時代、上杉氏の将太田道灌おおたどうかんが江戸城を築いてから城下町として発達、さらに天正1一8八年(1一5五9九0〇)徳川家康が入城して以来、幕府の所在地として繁栄した。1一8八世紀ころの地域は、おおよそ東は亀戸かめいど、西は新宿、南は大崎・南品川、北は千住・尾久おぐ辺りの範囲内。幕末の総町数は2二7七7七0〇余、推定人口1一0〇0〇万に上った。慶応4四年(1一8八6六8八)7七月東京と改称、翌年には首都となった。二新吉原から見て、遊郭外の江戸市内、特に神田・日本橋辺りをさしていった語。「今日は―へ参りました」〈洒・遊子方言〉三新吉原遊郭の5五町の中の江戸町。「―から京(=京町)まで残らず素見すけんなり」〈柳多留・一四〉二桜の一品種。サトザクラの仲間。八重咲きの大きな花で、花弁の紅色は外側のものの方が濃い。江戸桜。 URL江戸文化歴史検定http://edoken.shopro.co.jp/江戸東京博物館http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/江戸えどの敵かたきを長崎ながさきで討うつ意外なところで、または筋違いのことで、以前の恨みの仕返しをする。江戸えどは諸国しょこくの入いり込ごみ江戸は全国各地の人々が集まっている都会である、の意。江戸は諸国の立ち入り。江戸は諸国の掃き溜だめ。江戸えど八百八町はっぴゃくやちょう江戸の町の数の多いことをいった言葉。江戸全域。 |