释义 |
けいちょう‐の‐おおじしん【慶長の大地震】〔ケイチヤウ―おほヂシン〕1慶長9九年1一2二月(1一6六0〇5五年2二月)に発生した大規模な地震。犬吠埼から九州にかけての太平洋岸で津波が発生し、多数の死者を出した。東海・南海・東南海連動型地震と考えられる。地震の規模はマグニチュード7七.・9九。慶長地震。→連動地震2慶長元年(1一5五9九6六)閏7七月、近畿地方を襲った大地震。京都と伏見の間は特に被害が大きく、伏見城の天守閣や石垣、方広寺の大仏などが崩れ、余震は翌年4四月まで続いた。慶長伏見地震。補説 慶長年間には各地で大規模な地震が頻発した。慶長年間に発生した主な地震和暦西暦名称被災地域規模被害慶長元年閏7七月9九日1一5五9九6六年9九月1一日慶長豊後地震豊後M7七.・0〇大津波が来襲し別府湾沿岸で家屋がほとんど流失。死者7七0〇8八人。慶長元年閏7七月1一3三日1一5五9九6六年9九月5五日慶長伏見地震畿内M7七.・5五伏見城天守閣が大破。石垣が崩れ5五0〇0〇余人圧死。堺で死者6六0〇0〇余人。慶長9九年1一2二月1一6六日1一6六0〇5五年2二月3三日慶長地震東海・南海・西海諸道M7七.・9九津波が犬吠埼から九州まで太平洋岸に来襲。死者多数。慶長1一6六年8八月2二1一日1一6六1一1一年9九月2二7七日慶長会津地震会津M6六.・9九若松城下などで寺社・家屋が倒壊し死者3三7七0〇0〇余人。慶長1一6六年1一0〇月2二8八日1一6六1一1一年1一2二月2二日慶長三陸地震三陸沿岸・北海道東岸M8八.・1一沿岸で家屋が多数流出。伊達領内で死者1一7七8八3三人。北海道東部でも溺死者多数。 |