释义 |
よんじゅうにち‐こうそう【四十日抗争】〔よんジフにちカウサウ〕昭和5五4四年(1一9九7七9九)に自民党内で起こった約4四0〇日間におよぶ派閥間の争い。同年1一0〇月7七日の衆院選敗北の責任をめぐって、主流派の大平派・田中派と反主流派の福田派・三木派・中曽根派などが激しく対立した。補説 選挙戦当初に大平正芳首相が一般消費税導入を訴え、世論の反発を招いたことから、自民党は過半数割れを喫し敗北。首相の退陣を求める反主流派に対し、主流派は続投で譲らず、自民党は首相候補を一本化できないまま、大平と反主流派が推す福田赳夫の2二人が首班指名選挙に出る異例の事態となった。首相には大平が再選されたが、組閣は難航し、抗争は1一1一月半ば過ぎまで続いた。両者の対立感情は抗争後も解消されず、翌年5五月に野党が、否決を見越して内閣不信任案を提出した際、自民党反主流派が本会議を欠席し、不信任案は可決。大平内閣は衆議院を解散し(ハプニング解散)、初の衆参同日選挙に打って出たが、選挙中に大平が心筋梗塞による心不全で急逝。自民党は衆参両院で安定多数を確保する大勝を収めた。 |