释义 |
- 〔堤案者のイギリス外相カーゾン(G.N.Curzon)の名にちなむ〕第一次大戦後の1919年連合国が定めたポーランド·ソ連間の国境線。ポーランドはソ連と戦い,より東方に国境線を設定,西部ウクライナと西部白口シアを自国領土とした。これを不満としたソ連は第二次大戦後カーゾン線の復活を求め,両国の国境はほぼこの線によって引かれた。寇松线。〔以提议者英国外交大臣寇松の名字命名〕第一次世界大战后的1919年协约国划定的波兰和苏联的边界线。波兰与苏联开战,将边界线东移,把乌克兰西部和白俄罗斯西部划归自己的版图。苏联对此不满,第二次世界大战后要求恢复寇松线,此后两国的边界基本上按这条界线划分。
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