释义 |
- (1439—1491)室町時代の武将。義教(よしのり)の子。義政の弟。今出川殿。浄土寺の僧となり義尋と称す。のち還俗(げんぞく)して義政の後嗣となり義視と改名。翌年,義政の妻日野富子に義尚(よしひさ)が誕生したことから将军継嗣争いとなり,義政と対立,応仁の乱を誘発した。乱後,実子義稙(よしたね)が将军となり,その後見役。足利义视(1439—1491)。室町时代的武将,义教的儿子,义政的弟弟,今出川殿。曾为净土寺僧人,称义寻。后还俗成为义政的后嗣,改名义视。翌年义政之妻日野富子生下义尚,由此引起将军继嗣之争。义视与义政对立,导致应仁之乱。乱后,其子义稙成为将军,他任辅佐之职。
|